掲示板では

掲示板では良く「俺、京都大学の工学部だから」の様に、学歴や自分の社会的地位(語弊があるが。)に関して他の人間を貶すようなレスがされている。本物も居るんだろうけど、どうも怪しいやつばかりである。自分は、そういった人間の中にも、本当にその大学に通っている人が居ると思う。今日は、本当にXX大学に通っている人が何故自分の凄さや努力を主張したり分からせようとするか考えてみようと思う。
自分も受かったらそういう事をやりそうだから書いてみようかなぁ、と。
高学歴の人は自分が認められているということを頭で分かっているから、殆どの人間は掲示板で学歴についての話が出てもレスなどしないか、掲示板自体にさして興味を示さないような気がする。完全に私見だが。
しかし、自分の知識や学歴をひけらかして、バッシングされる人間が居る。そういった人間は、結構生まれの良い人間だと思う。東京大学理科三類の生徒の親を見てみれば分かる。高学歴・良いとこの生まれは相当強い関係を持っている。生まれの良い家庭は概して過保護である。過保護で有ると、自分が認められる機会はとても多い。勿論彼らが実際成績が良かったり、認められるような功績を残しているからだが。
とはいっても、凄い凄い、とちやほやされるのはせいぜい中学生までだろう。そうなると、自分の認められる機会が無くなる。しかし、その反面、自我の発達とか誰かが仰せられたように周りの目を気にし出す。そうすると自分の能力を認めさせるように現実の場で何か行動を起こすのは彼らにとってもやりにくい。そこで、掲示板である。
例え自分のすばらしさを認められなくても、自分の知識をひけらかせばそれなりの人間であることはそこに居る全ての人間に分からせることが出来る。しかも、インターネットという架空ではあるが大きなネットワークの中で。そうして彼ら自身の欲望は満たされる。
では何故彼らにはそういった欲望が生まれるのか。自分はこう考える。過保護であると、簡単な基準でしか認められているかどうかを判断できず、自分が努力して成功した事による他人からの尊敬心を感じ取れないのではないか。そして、過保護が原因で精神的に自立出来なかった事により、自らが努力することに依る"高尚な"快感を感じ取れないのではないか。
この事による弊害は分からない。寝る前や風呂の中で毎日こういう事を考える。アメリカ人の精神構造や、人間の精神的な進歩について、等。完全に素人考えなので、笑ってすましてもらえれば、と思う。